第一次オイルショックの原因|なぜ1973年に石油危機が起きたのか

1973年の第一次オイルショックは、第四次中東戦争をきっかけに起きた石油危機として知られています。

直接の引き金は中東情勢の緊張でしたが、世界経済を深く揺さぶったのは、アラブ産油国による減産・禁輸、原油価格の急騰、そして石油に強く依存していた各国経済の脆さが重なったためでした。

しかも、この危機は資源不足の話だけでは終わりません。
供給不安が価格を押し上げ、価格上昇が企業や家計の不安を強め、その不安が買い急ぎや在庫確保を呼ぶ。第一次オイルショックは、地政学リスクと市場心理がどう連鎖するのかをはっきり示した出来事でもありました。

この記事では、第一次オイルショックがなぜ1973年に起きたのかを、第四次中東戦争、石油禁輸、原油価格の急騰、そして石油依存とインフレという構造面から整理してみます。

まず全体像から知りたい方は、親記事もあわせてどうぞ。

→ 第一次オイルショックの全体像を整理した記事はこちら

目次

まず、オイルショックとは何かを簡単に

第一次オイルショックは、1973年の第四次中東戦争をきっかけに、アラブ産油国が減産・禁輸を打ち出し、原油価格が急騰したことで世界経済が大きく揺れた出来事です。

日本では「オイルショック」「石油危機」と呼ばれ、資源不足を超えて、地政学リスクが市場心理を通じて急速に広がった点が特徴でした。

発火点になったのは1973年10月の中東戦争でした。
産油国が石油を外交カードとして使ったことで、供給不安が連鎖しました。原油価格は数カ月で約4倍に跳ね上がり、当時の石油依存型経済では輸送・製造・生活コスト全体に波及し、景気悪化とインフレが同時に進む深刻な危機となりました。

直接の原因:第四次中東戦争

第一次オイルショックの直接の引き金になったのは、1973年10月に始まった第四次中東戦争です。

戦争そのものが石油危機を生んだというより、これを受けてアラブ産油国が石油を政治的武器として使い始めたことが、世界的な危機を呼びました。

ヨム・キプール戦争

1973年10月6日、エジプトとシリアはイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けました。これが第四次中東戦争で、欧米ではヨム・キプール戦争と呼ばれています。
この衝突がオイルショックの起点となり、数週間で石油市場を揺さぶりました。

戦況が進むにつれて、アメリカはイスラエル支援を強めました。
これに反発したアラブ諸国は、軍事だけでなく石油でも対抗していきました。そうして、1973年10月中旬以降、アラブ産油国は減産を決め、アメリカなど一部の国への禁輸措置へ踏み切ります。

こうして中東の戦火が、供給不安と価格高騰を通じて世界経済に飛び火したのです。

中東情勢と石油

中東の戦争が世界経済全体を揺さぶったのは、この地域が1970年代の石油供給の要だったからです。中東の不安定な情勢が、そのままエネルギー危機に直結する構造になっていました。

1970年代初頭の先進国は、発電、輸送、製造業、石油化学、暖房まで実に幅広く石油頼みでした。代替手段も乏しく、供給の切り替えも難しい状態でした。

加えて、産油国側では1960年代から、原油価格や資源主権をめぐる不満が強まっていました。
1973年の戦争は、その不満を一気に噴き出させる契機になったとも言えます。これが、石油が外交カードに変わった転機でした。

石油禁輸と外交圧力

1973年の石油危機で、アラブ産油国は石油を外交圧力の手段として使い、減産と禁輸によって世界市場を揺さぶりました。一般にはOPECの行動として一括で語られがちですが、実際には、禁輸の中心はアラブ石油輸出国機構(OAPEC)で、価格引き上げにはOPEC全体が関わっていました。

石油はなぜ外交手段になったのか

1973年秋、アラブ産油国は石油を対外圧力の手段として使い始めました。
目的はイスラエル支援国への牽制で、中東戦争の外交バランスを変えることでした。

石油がこれほど強い手段になったのは、当時の世界経済にとって代替しにくい基幹エネルギーだったからです。供給を絞るだけで、輸送、工業、発電、暖房まで幅広い打撃を与えられました。

ですが、実際の不足以上に大きかったのは、「次は止まるかもしれない」という不安でした。
この不安が市場を駆け巡り、企業は在庫を積み、政府は確保に奔走し、消費者は買い急ぐ。石油危機では、不足そのものと同じくらい、不足を恐れた先回り行動が価格高騰と混乱を加速させたのです。

禁輸は誰に向けられたのか

石油禁輸は、すべての国に一律に適用されたわけではありません。
アメリカやオランダのようなイスラエル支持国が主な対象でした。他の西側国には外交姿勢によって供給調整の余地を残していました。

これにより、石油は単なる市場商品ではなく、政治ツールとしての性格を一気に強めることとなりました。供給が同盟関係や外交姿勢で左右されるという現実は、消費国に強い衝撃を与えました。

しかも当時は、いまのような国際的なエネルギー安全保障の協調体制がまだ十分ではありませんでした。各国は自国優先で動かざるを得ず、不安がさらに拡大します。

これが、のちに国際エネルギー機関(IEA)が設立される重要な背景にもなりました。

原油価格の急騰と高値の定着

第一次オイルショックで世界経済が危機に陥った最大の要因は、原油価格の急騰です。しかも一時的な値上がりで終わらず、高値が定着したことで長期的な打撃が続きました。

なぜ1973年に価格は跳ね上がったのか

1973年秋まで、原油価格は1バレル約2.90ドルと、長く低水準で比較的安定していました。

ところが第四次中東戦争と減産・禁輸で状況が一変します。
1974年1月には11.65ドルへ、ほぼ4倍に跳ね上がりました。

そして、供給減そのものだけでなく、在庫積み増しや「次はもっと上がる」という市場心理が価格をさらに加速させます。不安が先回りして需給を歪め、物理的不足を上回る混乱を生んだわけです。

なぜ1974年も高値が続いたのか

1974年3月には石油禁輸そのものは解除へ向かいましたが、原油価格は以前の水準には戻りませんでした。むしろ、高い価格が新しい基準として定着してしまったのです。

この高価格の定着によって、輸入国は単なる一過性の混乱では済まなくなりました。企業はコスト再計算を迫られ、家計は燃料高に苦しみ、政府はインフレ抑制と景気対策のジレンマに直面しました。

「石油危機」は、突発的な事件というより、経済構造の変化を突きつける局面へ移っていったとも言えるでしょう。

石油依存とインフレが危機を深くした

第一次オイルショックが世界経済を深く傷つけたのは、当時の先進国の石油依存が強く、原油高が輸送・製造・生活費を通じて物価全体を押し上げたからです。景気悪化とインフレーションが同時に進む構造的な弱さが、ここで露呈しました。

※インフレーション:モノやサービスの値段が全体として上がり続けること。
※スタグフレーション:景気が悪化・停滞しているのに、本来は弱まりやすいはずのインフレが続く状態のこと。

石油依存の経済構造

1970年代初頭、先進国経済は自動車、航空、工場燃料、石油化学、発電、暖房まで石油中心でした。
石油価格が上がっても、短期間で別のエネルギーに置き換えることは難しく、需要もすぐには減りません。そのため、コスト増が直撃しました。

輸入国は貿易赤字が膨張し、企業収益が圧迫され、国全体としては海外への所得流出も増えます。日本が強い打撃を受けたのも、輸入エネルギー依存が高かったからでした。

つまり、危機を深くしたのは戦争だけではありません。石油が止まれば経済全体が揺らぐという依存構造そのものが、問題だったのです。

エネルギー価格とインフレ

石油価格が上がると、ガソリン代や灯油代だけが上がるわけではありません。

輸送コスト、発電コスト、原材料コストが上昇し、最終製品やサービス価格に広く転嫁されます。石油危機がインフレを強く押し上げたのは、この波及経路が非常に広かったからです。

しかも1973年当時は、主要国ですでに物価上昇圧力を抱えていました。そこへ原油高が重なったため、物価全体がさらに押し上げられ、コストプッシュ型のインフレが深刻化しました。

企業は仕入れ高を販売価格へ転嫁し、労働者は実質賃金の目減りを防ぐために賃上げを求め、家計は先回り購入へ動く。オイルショックは、供給制約がインフレ期待を呼び、その期待が現実を悪化させるという循環を生みました。

その結果、多くの国は景気後退と物価上昇が同時に進む難しい局面に入りました。そう、スタグフレーションです。各国は金融引き締めか景気対策かの二択を迫られました。

まとめ

第一次オイルショックは、1973年の第四次中東戦争を機に、アラブ産油国が石油を外交武器として減産・禁輸を仕掛け、原油価格が急騰したことから始まった危機です。

直接の引き金は戦争でしたが、世界経済を深く傷つけた本質は、当時の各国経済が石油に強く依存していたことでした。

1973年から1974年にかけて起きたのは、単なる原油の供給不足ではありません。不安が価格を押し上げ、それが企業の値上げや家計の買い急ぎを誘発する連鎖反応です。

オイルショックは、資源の危機であると同時に、人間の期待と恐怖が市場をどう動かすかが、かなりわかりやすく表面化した出来事でもあります。

日本で何が起きたのか、狂乱物価や買い占めがどう広がったのかについては、こちらで詳しく整理しています。

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金融史を読んでいると、通貨や金利の話は過去の出来事ではなく、いまの為替市場にもそのままつながっているとわかってきます。現代の相場を実際に見てみたい人は、こちらの記事もどうぞ。

参考資料

  • U.S. Department of State, Office of the Historian, The 1973 Arab-Israeli War
  • U.S. Department of State, Office of the Historian, Shuttle Diplomacy and the Arab-Israeli Dispute, 1974–1976
  • Federal Reserve History, Oil Shock of 1973–74
  • International Monetary Fund, Annual Report 1974
  • International Energy Agency, History of the IEA
  • International Energy Agency, Oil security and emergency response

本記事は投資に関する一般的な考え方や情報を解説するものであり、特定の投資行動を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任にてお願いいたします。詳細は免責事項をご覧ください。

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